サバイバル登山家服部文祥さんの初めての小説「息子と狩猟に」を読みました


サバイバル登山家服部文祥さんをご存知でしょうか。服部さんのことを知ったのは数年前に見た情熱大陸です。最小限の荷物を持って山の中で生活をする、食べるものはその場でなんとかする、という、一般的な登山スタイルではありませんでした。番組では鹿を狩っていました。動画の一部があったので貼っておきます。

服部文祥さんのプロフィールも貼っておきます。

1969(昭和44)年神奈川県生れ。東京都立大学フランス文学科卒。大学時代からオールラウンドに登山を実践し、1996年にカラコルム・K2登頂、1997年の冬から黒部横断を行い、黒部別山や剱岳東面、薬師岳東面の初登攀など、国内外に複数の登山記録がある。その後、装備を切りつめ食糧を現地調達する「サバイバル登山」と自ら名付けた登山をはじめる。それらの山行記に、『サバイバル登山家』『狩猟サバイバル』『アーバンサバイバル入門』などがある。https://www.shinchosha.co.jp/book/351021/

そんな服部文祥さんが今回、初めての小説を書かれました。タイトルは「息子と狩猟に」。内容はこちら。新潮社ホームページから引用します。

探す、追う、狙う、撃つ──。死体を抱えた振り込め詐欺集団のボスと、息子を連れて鹿狩りに来たハンターが山中で遭遇した。狩られるのはどっちだ!? 圧倒的なリアリティと息を呑む展開に震える表題作と、最も危険な山での極限下の出来事を描く「K2」の2篇を収録。人間の倫理を問い、命の意味に迫る衝撃の文学が誕生した。https://www.shinchosha.co.jp/book/351021/

ぐいぐいと引き込まれてあっという間に読みました。山を登るようになって、生きる、ということを考えるようになりました。それはなぜかと言うと、他の趣味より「死ぬ」ことを身近に感じるからではないでしょうか。過去に道迷いをしたことが何度かあります、雪山でホワイトアウトにあったことがあります、そんなとき自分は無力です、その時はただ、不安いっぱいで押しつぶされそうになりながら、無事に下山できることだけを考えました。今こうして本を読んでパソコンに文章を書くことができるのは無事に戻ってくることができて、生きているからです。生きるということを考えると同時に、日々を平凡になんとなく過ごすことができる大切さも感じるようになりました。

私は狩猟をしたことがありませんが、周りに狩猟をされている方がいらっしゃいます。服部さんを含めたその方々は私が山で感じたことよりももっと強く生きることを感じているのではないかと思います。生きることは食べることでもあるような気がします。小説では狩猟をする親子の物語ともうひとつの物語が同時進行します。親子の話は服部さんの私小説でもあるのでしょうか。

己の生をただ生きているケモノに、なぜ、自分は圧倒的な暴力で介入することが許されるのか。食べて生きるためだ。だがそれは、他の命を犠牲にして自分の命を優先していい理由の説明にはなっていない。(本文より)

狩って食べる、ということをしたことが私はありません。毎日何かを食べて生活しているのに、何かの命を食べていると思うことはほとんどありません。いただきますという言葉は命をいただきますという意味なのにそんなことを考えることはありません。

生きるとは殺して食うこと 命には生と死が同居するという逃れようのない現実である。目の前で倒れた獲物は、殺生への戸惑いも、命への感謝も受け付けず、ただ静かに自分にもいつか死ぬ番がくるのだという覚悟を突きつけてくる。(本文より)

生きることは同時に死ぬことなのかもしれない。死ぬまで生きることを私はこれからずっとしていく。そして生きるにはやっぱり食べなければいけない。食べるということを改めて考えることができました。読みやすく、少しサスペンスもあり、おもしろいので気になった方は読んでみてはいかがでしょうか。